「ユートピア」(トマス・モア)
「ほかの人があまり読んでいないもの」と「世の中で絶対これは読んだ方がいいといわれているもの」を読むと良い、と書いてあった記事を目にした。
「ほかの人があまりよんでいないもの」については、自分が面白いと思うものを読めば自然と周りの人が読まないものになるし、自分のユニークさが身につく云々と。
特に後者は、社会人になってしまえば娯楽でも仕事の役にたつでもない本を読む機会は皆無なのだから、時間のある今のうちに読んでおこうと考えている。
ということでチョイスしたのが「ユートピア」。
率直な感想としては、「え、これの何がすごいんだ」に終始した。
とにかく最初の方が読みにくくて、ハム太郎の映画を見に来たのに同時上映のゴジラの映画を見せられた子供の気持ちだった。
その上、ユートピアの事例紹介が延々と続き、たまらず途中は読み飛ばした。
とはいえ古典の良い点は「人類の思考の系譜に触れる」ことにあるのではないか、
と思っている。
「ユートピア」の描く理想の社会は、トマスモアが思う現代社会との差異を描いたものであるはずである。現代社会の問題点は何であってそれは改善可能で、改善の方向性は「ユートピア」に記された、という点では人類が何を望んだのかという事柄がまとまった一冊なのだろうと思う。
正直こういう思想がそれ以前にどうであってその後どうなったかは勉強不足でよく知らないが(要勉強)、仮に誤った改善の方向性だったり、社会の啓蒙の仕方であるならば過去から学ぶ必要はあるだろう。
改めて古典ってなんだろう、と考えたが「パネンカのPK」のようなものなのだろうかと思ったりする。
「パネンカのPK」とは、PK戦でパネンカが従来の強く蹴って入れるPKではなく、ど真ん中に浮いたボール(チップキック)を決めたというものである。
以後PK戦においてこの手法は特別珍しいものではなくなったが、第一号ということで「パネンカのPK」と呼ばれる。
これを古典に当てはめてみた時に、
・転換点
・集約性
の2点が古典を古典たらしめるのではないか、と思った。
転換点とは、従来の枠組みを打ち破り、新たな枠組みを作ったきっかけであり、
集約性とは、新たな枠組みを作ったと言うにふさわしい認知容易性である。
特に後者については、例えば「パネンカのPK」であれば
おそらくパネンカ以前に路地裏かどこかでもやっていた人はいたはずで、
決勝戦という大舞台でやったことによる周知の大きさから
後の時代の人が「パネンカのPK」と象徴として呼ぶようになったのだと思う。
「ユートピア」もまさにそれではないだろうか、と思った。
国の在り方に関する転換点であり、転換点の象徴にふさわしい集約性がある
ということで世界史に刻まれたのではないだろうか。
集約性のインパクトを考えると、
普段のちょっとした転換点に気付きそれを我が物顔で
大きく知らしめることも、
「人類の思考の系譜に触れる」という点でも優れているし
利益も手に入れることができるんじゃなかろうか、と邪に思った。