Kokko 真面目すぎる東大生

大学卒業までに会った出来事を綴るブログ。読書記録多めかも

「金閣寺」三島由紀夫

試験やら夏休みの旅行・帰省で暫く休止していた読書記録。

今回は「金閣寺三島由紀夫を読んだ。

 

三島由紀夫についての知識は人並み程度しかなく、関わりとしても「復讐」を教科書で読んだだけだった。

なので以下、読んで思ったことを純粋につらつら書いてます、

 

【➀吃音と破壊衝動】

吃音に鬱屈した思いを持つ主人公が、最終的に金閣寺を燃やすという破壊衝動に関連する描写が常人らしいものだと感じた。例えば、母親からの期待であったり柏木を見る目であったり、老師への複雑な感情であったり女性とのエトセトラであったり、一般人らしい感覚の描写であることが一番印象的だった。

私の中で三島由紀夫と言うと、「狂っている」イメージがあったため、破壊衝動に至るまでの描写が、読んでいて理解可能であることに驚いた。

更に、放火直前の疲労に襲われる描写や不滅のように存在する金閣寺への破壊衝動など読んでいて体感として「分かる、分かる」というのが特徴だと思った。

この「分かる、分かる」という要素故に、この「金閣寺」という作品を読んでいる中で鬱屈とした気持ちになったり人生を全て破壊したくなる気持ちが身に染みてしまうのではないかと感じた。

 

主人公にとって女との関係は、作品の最初から最後まで重要な立場を占めており、青年期(今の自分がそうだが)にありがちな感情を、リアルな分析と非現実的な心情表現を織り交ぜて描くスタイルに生々しさを感じた。

 

 

【②友人の感想を呼んでの反省】

と、上記のように三島由紀夫の「金閣寺」ってこんなかんじなのかぁ、と思って最も印象に残った箇所を一度記述した。

ところが友人の感想を読み、ハッとさせられる。

『正直読み終えて全く記憶に残らなかった。その原因は間違いなく私がこの本の肝である深遠な思想を流し読みしたことに由来している。しかし私としては息抜きのつもりでこの本を手に取ったのである。家に帰ってくつろごうとしたら、体にいいからと運動させられたような気分である。まあ一応は読み通したので、これからは胸を張って「三島を読んだ」ということができる。国文学最高峰と評される作品を読んでの感想がこの程度、衒学者冥利に尽きるというものである。』

 

・・・( ^ω^)・・・

 

実際、この作品の細かな表現や各場面の描く思想に時間を割ききれていない自分がいたのは事実だ。だが、ついそれを隠して浅学さを隠れ蓑に、自分が感じた感覚をそれっぽくただ書いたことは反省だ。

 

読了後に感じた率直な感想を改めて書くと、

「なんだよこいつ、留年しまくり自分探しの旅に出た末、自暴自棄になっちゃう系大学生やないかーーい!」というツッコミである。

主人公が勝手に抱く妄想や、出くわす人々とのやりとりの末、「もう金閣寺燃やすw」みたいな発想になる流れ。

分かるよ、分かる。吃音とかなんやかんやの過去を取り上げ、自分の価値を見失って考えることを辞めて感覚に生きようとする感じ。そんな時期大学一年生の頃俺もあったわ。だから読んでて鬱屈した気持ちにもなったわ。特に女関連の描写とか「あぁ絶対三島由紀夫はモテないタイプだろうなぁ。やたらにここだけ描写しっかりしとるわ」とか思ったよ。

でも・・・その発想・・・流行んねぇよ??

 

主人公が学校に来てなくても、同級生はせいぜい「あいつ最近きてなくね?」とか、金閣寺燃やしても「いやー、マジやば」で終わりよ?思っているよりみんな他人に関心ないから。

 

金閣寺」読んでて思ったのは、「明日学校に行きたくないよぉぉおお」という思いを無駄に真剣に考えてドツボにはまって悲しむ自分がほんと最高!!、って感じだなぁと。その感情って社会で生きる上では棄ててしまいがちだから、こういう本って総意海では感性を豊かにでもしてくれるのかもね。

 

*もう一度読んだら、数年後読んだらまた違うんだろうな、と思いながら感想を終わります。